バヴィシュヤ・プラーナのイエス・キリスト

訳・文 宮本神酒男

[説明]

 古代インド文献のプラーナのなかには、イエスがインドに来たことについて記されたものがあるという。これは歴史が塗り替えられる「驚愕すべきこと」(『救世主を救う』の著者サラフッディン)ではなかろうか。実際このサラフッディンやハスナイン博士をはじめとする多くの学識ある人々がそう主張しているのだ。

 それなのに詳しく書かれた本を目にしたことがないのはどうしてだろうか。バチカンの陰謀によって、イエスのインド修行のエピソードは抹消されてしまったとでもいうのだろうか。

 プラーナ文献(プラーナは古い物語という意味)は、ヴェーダ文献、ウパニシャド文献とならぶ古代インドを代表する知恵と知識の宝庫であり、作者は「マハーバーラタ」の著者ともされる伝説的なリシ(聖仙)ヴィヤーサに帰せられる。プラーナ文献は大(マハー)プラーナとその他の副(ウパ)プラーナとに大別されるが、18のマハー・プラーナの9番目に挙げられるのがこのバヴィシュヤ・プラーナである。バヴィシュヤとは未来を意味する。いわば予言書なのだ。もっともその内容は、宇宙創造や儀礼にはじまり、ヴラタ(法度)、教育、結婚、寺院のあり方についてであり、それに「過去・現在・未来の王朝の系譜」が付加される。

*18のマハー・プラーナは、ブラフマ・プラーナ、パドマ・プラーナ、ヴシュヌ・プラーナ、ヴァーユ・プラーナ、バーガヴァタ・プラーナ、ブリハンナーラディーヤ・プラーナ、マルカンデーヤ・プラーナ、アグニ・プラーナ、バヴィシュヤ・プラーナ、ブラフマヴァイヴァルタ・プラーナ、リンガ・プラーナ、ヴァラーハ・プラーナ、スカンダ・プラーナ、ヴァーマナ・プラーナ、クールマ・プラーナ、マツヤ・プラーナ、ガルダ・プラーナ、ブラフマーンダ・プラーナ。

 バヴィシュヤ・プラーナは西暦115年に書かれたという。イエスはインドで西暦120年に没したとされているので、死の5年前ということになる。イエスが120年という泉重千代さんなみの長寿をまっとうしてインドの地で死んだというのはにわかには信じがたいだろう。これについては別のところで論じたい。

 バヴィシュヤ・プラーナには4つの章がある。すなわちブラーフマ・パルヴァン、マディヤマ・パルヴァン、プラティサルガ・パルヴァン、ウッタラ・パルヴァンである。このうちプラティサルガ・パルヴァンの16−33節に描かれているのがイエス・キリストなのだ。

 イエスはイシャ・プトラ、あるいはイシャ・マシハ(救世主イエス)と呼ばれ、すでに卓越した修行者として知られていた。国王サリヴァハナはわざわざ教えを乞いにフーナの国の山上にいるイエスに会いに行く。この山がカイラス山であるなら、当然シヴァのイメージとイエスがダブってくるということだ。(神話によればシヴァはカイラス山の山頂で修行をしている)

 ここではイエスは正しい行いと言葉によって心を清めることができると説く。その姿は黄金に輝き、白衣をまとい、太陽神であり光の神という側面を表している。イエスはヒンドゥー教を学び、またイエスからもヒンドゥー教に影響を与えているようだが、そもそもインド人にとっては、イエスもヒンドゥー教の神の顕現とみなされうるのだ。

しかしこのプラティサルガ・パルヴァンの章は、おおいに問題があると言わざるをえない。イエスやアダムとイヴのほか、イスラム教に関することから植民地支配のことまで、いくら予言書とはいえ、あまりにも具体的に多くの未来のことが語られすぎているのだ。

 どうやらバヴィシュヤ・プラーナは、成長する古代文献のようである。時代を経るにしたがい加筆されていくので、まるで予言が当たったかのように見える。バヴィシュヤ・プラーナの注釈を著したB・K・チャトゥルヴェディはつぎのように語る。

「バヴィシュヤ・プラーナは二千年以上にわたって進化しつづけた唯一のプラーナである。それは中世のできごとはおろか、英領インドの時代のできごとにまで触れているのだ。それは古代の聖なる叡智を集めた書という評判の信憑性を貶めるものだった。しかし学者たちは、もとになる古代のテキストがあり、それが膨らんできたものだと理解した。グプタ朝時代(3世紀―4世紀)に編纂された文書は、1850年に至るまで手を加えられ、改竄され、現在のものになったのだ」

 このように考えると、バヴィシュヤ・プラーナはマハー・プラーナのなかでも特異な位置を占める文献であることがわかる。信頼される歴史的文献とは言い難いけれど、かといって偽書とも言えない。加筆されるのは、記録されるということなのだ。イエス・キリストの箇所はどう考えればいいのだろう。イエスがインドにやってきて修行をしたという伝説はたしかにあったのだ。伝説すら捏造と呼ぶのは、あまりに風流を心得ていないのではなかろうか。もっともその加筆・修正が19世紀という最近のことなら、伝説というよりは捏造と断定せざるをえない。